長い期間 大相撲界の大将(番長)として君臨した大横綱 リーダーの資質に迫る
男を磨け 千代の富士のように
千代の富士の大将たる所以
1980年代、大相撲界の覇権を握っていたのは、当時の横綱「千代の富士」であった。
力士会を牛耳るほどの絶大な権力を誇っていたが、「番付が最上位」だからではない。
彼の人徳に魅了され、自動的に、人がついてくるのである。
この横綱は、近年の横綱と違って、「周囲の力士たち」に崇め称えられていた。
「ただ強いだけ」の横綱なら、たくさんいるが、
周囲に畏敬(いけい)の念を捧げられていたのは、
「過去71人いる横綱」の中でも、「双葉山」と「千代の富士」ぐらいであろう。
人を惹きつけるカリスマを誇る「千代の富士」の生き様に、
「リーダーとしての資質」のヒントがたくさん隠されている。
心の強さ+体の強さ+人徳=番長(リーダー)
当然 ものすごく強い 結果を残している
番長・大将・リーダーとして、最低限の資質は、
常に、結果を残すこと。
これができないと、
何を言っても・やっても、説得力が皆無で、
人はついてこない。
千代の富士の現役時代の戦績は、周知の通り、
国士無双である。
彼の大記録は、優勝回数31回・53連勝など、枚挙に遑(いとま)がない。
「ただ勝つ」ではなく、「相手をねじ伏せるような決まり手」が多く、
非常にインパクトがある。国技館は一気に盛り上がり、観客が狂喜乱舞するほど、華がある。
これは、「明日以降に戦う」相手力士への牽制(けんせい)でもある。
「オレを本気にさせると、こうなるぞ」と、他の力士に恐怖心を植え付け、
対戦前から戦意を喪失させるという、老獪(ろうかい)な高等技である。
外見に美がある 筋肉
「ただ強いだけ」では、期待値を超える感動までには至らない。
「強さ」に加え、「華という美しさ」を兼ね揃えた人物には
人を惹きつける魅力(カリスマ)が、自然と備わる。
本人の意思とは関係なく、自動的に人が集まってくるのだ。
もともとは、弱点であった肩の脱臼を克服するために
筋肉のヨロイを纏(まと)ったと言う。
硬いだけの「飾りの筋肉」とは違い「しなやかで柔軟な」筋肉である。
それでいて非常に絵になる筋肉である。
外見に美がある 塩まき
どんなに強くても、「ただ強いだけ」では、
「期待値を超えた感動」までには、到底、至らない。
「強さ」に「華という美しさ」を兼ね揃えた人物は、
人を惹きつける「カリスマ」という魅力、
(オーラと言っても良い)が、自動的に備わる。
千代の富士の「塩まき」はサイドスローである。
ほとんどの力士が、塩を下から放るのに対し、
彼は、横からスナップを効かせて、
キレ良くスパッと塩をまく。
この時、左手は必ず「まわし」に掛かる。
この颯爽とした一連の動作には、非常に華があり、
まるで錦絵から飛び出してきたような所作である。
この「サイドスロー」は、
後の弟子である「大関・千代大海」や、
「千代の富士の影響をかなり受けている」朝青龍にも、見受けられる。
憧れや敬意を表してのコピーであろう。
負けず嫌い
横綱でも負ける事はある。
大事なのは、負けた後に「何をするか」である。
並みの力士なら、「来場所頑張ろう」で終わる。
しかし、千代の富士の場合は一味違う。
当時前頭の小錦との初対戦で、なすすべなく完敗。
横綱が、昨日今日入った格下の小錦に、
一方的に突き出された。
第一人者としてのプライドが砕けた事だろう。しかし、すぐに奮起。
場所後、横綱自ら、毎日「小錦がいる高砂部屋」へ出稽古に通い、
「小錦だけ来い!!」と、2人だけの「申し合い」稽古を連日敢行。
これは、もちろん、次回の対戦のための小錦対策でもあり、さらに、
「近い将来、間違いなく最強のライバルになるであろう小錦」を、
今のうちに叩いておこうという策である。
小錦の心理に「千代の富士には絶対勝てない」という恐怖を植えつけしまえば、
これからの本場所での対戦は、全て有利に働くからだ。
稽古場で、豪快に小錦をブン投げ、格の違いを執拗に見せ付けた。
結局その後、千代の富士は、本場所で小錦に8連勝し、手玉に取った。
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自分だけではなく後輩を鍛え上げる
相撲界では、先輩が後輩に対して、
「メチャメチャ厳しい稽古によって、
痛めつけながらみっちりと鍛え上げる」事を
「かわいがり」という。
ただし、愛情が伴わないと、
「かわいがり」ではなく「ただのイジメ」となる。
そのため、強い力士に気に入られている後輩は、非常に有利である。
強い人と毎日、優先的に稽古できるのである。若手にとっては最高の環境である。
千代の富士の弟(おとうと)弟子、保志(後の北勝海)は、
千代の富士の「かわいがり」を毎日受けて、横綱にまで成長した。
「自分一人だけ強くてもダメだ」と、後輩の指導も熱心に行う。
自分もいつかは引退する。寄る年波には勝てない。
自分がいなくなった後、安心して相撲界を任せられる「後継者」を鍛え上げるのも
横綱(リーダー)の仕事である。
晩年に鍛え上げた貴花田(後の貴乃花)が、きっちりとバトンを受け取り、
平成の相撲界の屋台骨を支える事となる。
アダ名が「大将」
「体の強さ」と「心の強さ」に、カリスマが加味され、
力士や、ファンの憧れとなり、神格化する。
弟(おとうと)弟子の北勝海や、強面(こわもて)の小錦も、
千代の富士の事を「大将」と呼ぶ。
恐怖でそう呼ぶのではなく、尊敬の念からの自然発生的行為なのだ。
あなたも、相手が一般的な能力の人間だったら、「大将」とは決して呼ばないであろう。
「大将」と呼ぶのは、やはり、その人に「大将たる資質」が備わっているからである。
人気があるからゲーム化される
自らがゲーム化される事など、
普通の人なら、一生涯ありえない。
団体競技の場合なら、スター選手が1人でもいれば、
補欠扱いだが、サブメンバーもゲーム中に参戦できる。
しかし、相撲のような個人競技で、
タイトルに本人の実名が刻まれているゲームなど
非常に希少である。いかに彼が、国民的人気者かが分かるだろう。
人気があるからマンガのキャラのモデルになる
1980年代にブームとなった、
ゆでたまご先生の「キン肉マン」にでてくる、
正義超人「ウルフマン」。(アニメではリキシマン)
これは、千代の富士がモデルとなっている。
作中でのウルフマンは、目立った活躍は無く、
悪魔超人らとの死闘で何度も殉職しているが、
不屈の精神で、何度も生き返っている。(ゆで理論)
物語終盤でも、いつのまにか生き返り、ウルフマンより100万倍強いはずの
ラスボス「邪悪超人神」の1人を「居反り投げ」で仕留めている。(ゆで理論)
なお、千代の富士も、慢性的な肩の脱臼から、何度も復活している。
ヤンキーを大関にまで育て上げる
「体力の限界」という名ゼリフを残し、現役を引退、
「九重(ここのえ)親方」となる。
数年後、大分県から1人のヤンキーが
九重部屋の門を叩いてきた。 大分では伝説的なヤンキー、廣島龍二(ひろしまりゅうじ)少年である。
(のちの千代大海)
親方いわく「すごいのが入ってきたな・・・(苦笑)」
通常、相撲部屋に入門志願する際は、
坊主頭、オールバックなど、青年らしい頭などで、参上するものだが、
まさかの、剃り込み金髪リーゼント。
親方が、そのヤンキーに対し最初にさせた事。
「まず、床屋に行ってきなさい」
実績充分の大物ヤンキーも、鍛え上げられた力士の前では、小人だ。
迫力の啖呵(たんか)を切るも無力、なすすべなく敗北する。
一念発起し、丸刈りに散髪し、以後、九重親方を師と仰ぐ。
少年は、もともと武道の経験があり、礼儀を知っている人物であった。
親方と二人三脚で真摯に稽古に励み、大関まで駆け上る。
性格が明るくユーモアがある
千代の富士は、声が大きく、ハッキリとした口調で、
なんと言っても、ユーモアがある。
普通の力士であれば、インタビューに対し、小さな声で、
「自分の相撲を取るだけです。」
「一生懸命頑張ります。」
「たまたま、勝っただけッス。」などと、
決められたような定型分しか出てこない。
これは、敗者に気を使っているのと、自分の増長を自重しているのであるが、
見ている側からすると、非常につまらない。
千代の富士は、現役時代も、親方時代も、ファンサービスを忘れない。
相手を批判することも無く、自らの偉業も自慢せず、
人を笑わせることによって、場の雰囲気を良くしようと努めている。
Q:「稽古は好きだったか?」
千代の富士:「稽古は大っ嫌いだった、でも負けたくないから仕方なくやった。」
千代の富士:「稽古は大っ嫌いだった、でも負けたくないから仕方なくやった。」
Q: 伝説の(土俵中央での吊り落としが炸裂した)寺尾戦について、
(寺尾の執拗な張り手に)頭にきたのか?
千代の富士:「い〜や、ただ持ち上げて、捨てただけ(笑)」
(寺尾の執拗な張り手に)頭にきたのか?
千代の富士:「い〜や、ただ持ち上げて、捨てただけ(笑)」
Q: 相撲をやりたかったのか?
千代の富士:「興味ない、騙された。東京に連れて行ってやると言われて、
ついて行ったら相撲部屋にいた(笑)」
千代の富士:「興味ない、騙された。東京に連れて行ってやると言われて、
ついて行ったら相撲部屋にいた(笑)」
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